ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 菱川師宣記念館    > シリーズ浮世絵逸品 4 「土肥椙山籏揚」

本文

シリーズ浮世絵逸品 4 「土肥椙山籏揚」

印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 記事Id:0007354 更新日:2022年4月4日更新
<外部リンク>

4.「土肥椙山籏揚」  歌川芳虎  弘化4~嘉永5年(1847~52)

土肥椙山籏揚

 治承4年(1180)8月、伊豆で挙兵した源頼朝は、相模の平家方を大動員した大庭景親軍に石橋山で大敗し、湯河原山中、土肥の椙山(すぎやま)に逃げ込みます。大庭軍はさらに追撃、頼朝の行方を探索します。わずかな供と古木の洞に隠れていた頼朝は、大庭軍の梶原景時に発見されます。まさに万事休す。しかし景時は、ここには誰もいないと大庭をあざむき、頼朝を見逃したのです。稲妻が走る中、洞の内外で目を合わす景時と頼朝。緊迫した一瞬を描いた場面です。危機を脱した頼朝は、この後、真鶴から海路安房へ脱出します。景時はのちに頼朝のもとで信任を得て、有力御家人となっていきます。

 源頼朝の挙兵から再起の道のりは、物語性に富み、波乱万丈なサクセスストーリーとして、江戸期には多くの浮世絵や絵草紙となり、人気を博しました。


菱川師宣記念館

収蔵品紹介
鋸南の歴史資料館
鋸南なるほど物語