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菱川師宣と保田

印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 記事Id:0002457 更新日:2019年12月6日更新
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房陽の絵師のふるさとの画像

浮世絵の祖 師宣が終生愛し続けた故郷 房州保田

ブロンズ像の画像
見返り美人ブロンズ像

「見返り美人図」を立体的に。鴨川市出身の彫刻家・長谷川昂 氏の制作によるブロンズ像です。菱川師宣記念館前に建っています。

師宣墓の画像
別願院 菱川師宣墓

師宣は元禄7年(1694)6月4日、江戸で亡くなりました。江戸に墓がないことから、故郷保田の菩提寺、別願院に墓が建てられたと考えられています。現在の墓は後世に再建されたものです。

菱川師宣誕生地の画像
菱川師宣誕生地

師宣の生年は未だ不明です。父の年齢や第4子という状況から、寛永の中頃(1630頃)と推定されています。本名は吉兵衛。縫箔師の父吉左衛門と、母オタマの間に7人兄弟の第4子、長男として誕生しました。

別願院梵鐘の画像
別願院梵鐘

師宣は故郷を深く愛していました。元禄7年(1694)5月、保田の別願院に、親族の供養として梵鐘を寄進しています。亡くなる一ケ月前のことです。残念ながらその梵鐘は、太平洋戦争時、金属回収令で供出されてしまいました。現在、復元した鐘が記念館前にあります。

 


菱川師宣記念館

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