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町報きょなん2022年11月号・特集(きょなん3地区の歴史に触れる・「地域の宝」文化財を守りましょう)​

印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 記事Id:0008314 更新日:2022年11月5日更新
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きょなん3地区の歴史に触れる

 鋸山の南からが安房国です。その玄関口に位置する鋸南町は、古くから歴史と文化に彩られてきた風光明媚な地です。
 鋸南町は、昭和34年3月30日に旧勝山町と旧保田町が合併し、誕生しました。今から約64年前のことです。「保田」「勝山」「佐久間」の3地区のルーツを紹介します。

保田地区

 古くは穂田郷と呼ばれ、実り豊かな地だったと言われています。
 江戸時代は、内房沿岸の魚介類を江戸へ運ぶための港として栄えました。浮世絵の創始者、菱川師宣が誕生し、安房の三名工、武田石翁が活躍しました。俳人の小林一茶もたびたび訪れ、浮世絵師、歌川広重もこの保田海岸から見た富士を「富士三十六景 房州保田ノ海岸」などの浮世絵版画に残しています。
 明治から大正時代は、避暑地として人気が高まり、多くの人たちが訪れました。夏目漱石、正岡子規、西條八十をはじめ多くの文人たちも保田にやってきています。

勝山地区

 江戸時代は漁業を中心に安房勝山藩1万2千石の城下町として栄えました。醍醐新兵衛を総元締とする鯨組の勇壮な捕鯨が浮島周辺で繰り広げられました。鯨塚など史跡も残ります。
 戦国時代に勝山城が築かれ、水軍の城として機能しました。その勇壮な血が子孫に引き継がれ、鯨捕りの技に受け継がれていったと言われています。
 浮島は景行天皇と料理にまつわる伝説もあります。お供のイワカムツカリが浮島のはまぐりとかつおを料理して天皇に喜ばれ、後に料理の神様となりました。

佐久間地区

 奈良時代頃から「狭隈郷」と呼ばれ、開けた地でした。佐久間は信仰の厚い地で、狭い中にも神社寺院の数が多いことが特色です。
 源頼朝が再起の途上、立ち寄り祈願した密蔵院の立身不動尊、鎌倉時代から十王信仰の中心として信心を深めた十王堂の十王様などがあります。
 山間部の大崩、奥山には、向学心が強く、政治への興味・関心が高い若者が多くいました。明治の自由民権運動隆盛の中、いち早く奥山改新社を結成し、言論を戦わせました。曽根静夫など優秀な人材も出ています。

 皆さんの身近な場所にも、さまざまな歴史が残されています。3地区の歴史マップは町ホームページからダウンロードできます。

「地域の宝」 文化財を守りましょう

 文化財は、長い歴史の中で生まれ、人とともに育まれ、今日まで守り伝えられてきた歴史的、文化的に価値の高いもので、皆さんの財産です。文化財を後世に伝えるために「文化財保護法」が制定され、貴重な文化財を保護しています。文化財は関係者が一体となって、保護・活用を図りながら、後世に継承する必要があります。
 町には、国指定重要文化財2件、県指定文化財7件、町指定文化財28件があります。地域の歴史を知るうえで貴重な文化財は、まさに地域の宝です。

文化財審議会へインタビュー

 文化財審議会では、文化財の保存や活用について、教育委員会の諮問に答え、必要な調査研究を行っています。会長の佐久間常夫さん(上佐久間)にインタビューしました。

町の文化財の特徴は?

 菱川師宣誕生地、源頼朝上陸地、醍醐新兵衛の墓所、鋸山の羅漢石像群など史跡名勝で、地域の歴史を感じることができ、中世の妙本寺文書や江戸初期の各村検地帳、キリシタン高札など貴重な文書資料も充実しています。
 石翁や伊八の彫刻や大絵馬などの絵画資料、無形民俗文化財としては市井原の獅子舞・神楽舞があり、現在まで伝承されています。

町民の皆さんに一言

 文化財は指定されているものだけが貴重なのではありません。それぞれの家庭に伝えられてきたものが、その家庭の歴史であり文化財なのです。
 近年では、人口減少により空き家も目立ってきました。文化財もその中で朽ちていくのは、とても悲しいことです。皆さんには、文化財に少しでも関心を持っていただき、ご自宅に気になるものがあったら、捨てる前に菱川師宣記念館へご連絡をお願いします。

問合せ先 菱川師宣記念館 【電話番号】55-4061