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源頼朝上陸地(みなもとのよりともじょうりくのち/Minamoto Yoritomo)

印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 記事Id:0002498 更新日:2019年12月6日更新
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源頼朝上陸の地(みなもとのよりともじょうりくのち/MinamotoYoritomo)の画像1

源頼朝再起の地

 源頼朝は、治承4年(1180年)8月に伊豆で平家打倒の兵を挙げましたが、相州石橋山の合戦で敗れ、28日に同国土肥郷の真鶴岬から小船で脱出し房総へと逃れます。翌29日、わずかな供を連れて、安房国猟島(現在の鋸南町竜島)に上陸しました。竜島の村人たちは、頼朝を歓迎して、いろいろと世話を焼いたと伝えられています。源氏にゆかりのある安房の豪族・安西景益は、頼朝を護るため自分の館に招き入れます。頼朝はそこから、房総の有力豪族に使者や手紙を送り味方を募り、勢力を盛り返しました。竜島は頼朝にとって再起の地。武家政権鎌倉幕府の出発点でもあります。上陸したとされる場所は、千葉県指定史跡に指定され、上陸碑が建てられています。

頼朝とつのなしサザエ

 伊豆で平家打倒の兵を拳げた源頼朝は、石橋山の戦いで敗れ、真鶴岬から、いったん安房の竜島(鋸南町)にのがれました。竜島に上陸する時、頼朝はあやまってサザエをふんでけがをしてしまいました。さいさきの悪いことなので、頼朝は怒って、「竜島のサザエにつのなど無くなってしまえ。」とどなりました。すると、それ以来、竜島のサザエには、つのが無くなってしまったと言われます。

頼朝がくれた姓

 戦いに敗れ安房の竜島に逃れてきた源頼朝を、竜島の村人たちは親切にもてなしました。感激した頼朝は、こう言います。「わしが天下をとったなら、おまえたちに安房一国を与えよう。」それを聞いた村人は、安房一国を穀物の粟一石と勘違い。「粟なら畑で取れます。それより私たちに姓をください。」と言いました。頼朝は村人の欲のなさを笑い、「そうか、ばかだなぁ」と言いました。
それを村人は姓をくれたものとまた勘違い。「左右加」「馬賀」と名のるようになったと言います。

名称

千葉県指定史跡「源頼朝上陸地」

住所

千葉県安房郡鋸南町竜島165-1 Map<外部リンク>

問い合わせ先

鋸南町歴史民俗資料館  Tel:0470-55-4061

アクセス

源頼朝上陸地へは、JR内房線・安房勝山駅から徒歩10分。周辺には、菱川師宣記念館(鋸南町歴史民俗資料館)などがあります。

 

源頼朝上陸の地(みなもとのよりともじょうりくのち/MinamotoYoritomo)の画像2

源頼朝上陸の地(みなもとのよりともじょうりくのち/MinamotoYoritomo)画像3

勝山沖から見た鋸南町。源頼朝もこの景色を見たのでしょうか。