鋸南町イメージキャラクター

みかえりちゃん

★鋸南町のシンボルにもなっている師宣の代表作『見返り美人』より★
師宣は江戸時代当初(1630年頃)保田の紺屋に生まれました。幼い頃からの絵の才能をいかすため、16歳の頃故郷を離れ、江戸や京都で絵を修行。現存する作品は肉筆、版画と合わせて150点ほどですが、なかでも『見返り美人図』は戦後初めて記念切手に採用されるなど師宣の代表作となっています。師宣はそれまでの肉筆浮世絵から版画による浮世絵を考案し普及させました。その功績は武士や富豪などの一部の特権階級にしか与えられていなかった絵画芸術を、庶民にも親しめるものにしたことです。絢爛と花開く江戸文化に大きな貢献を果たしたのです。浮世絵の祖としてばかりではなく、世界の美術史に大きな足跡を残しました。雅号を「房陽」とし、江戸で暮らしながらも故郷への思いは強かったと推察されます。地元には唯一『昇り龍』(個人蔵)が現存しています。


よりともくん

★鋸南町・源頼朝伝説より★
石橋山の合戦に破れた源頼朝は三浦半島から逃れ、治承4年8月29日に鋸南町の竜島海岸に上陸しました。兵をたてなおし、12年後には鎌倉幕府を築きあげます。上陸地には記念碑が建立されています。飯島、行山観音堂、神明の森、左右加氏、竜島の7姓(松山・菊間・柴本・中山・久保田・鰭崎・生貝)、玉の井、蛯塚、駒立屋敷などの伝説が残っています。


しんべいくん

★近代捕鯨(クジラ捕り)の祖・醍醐新兵衛より★
鯨は食用としてばかりでなく、鯨油や油かすが殺虫剤や肥料として用いられるなど、貴重な資源として余すとこなく利用されていました。捕鯨の対象は東京湾を回遊してきたツチ鯨。近代捕鯨の祖と呼ばれる醍醐新兵衛は江戸時代の初期すでに総勢500名で構成される船団を組織し、捕獲はもとより解体、加工にいたるまでの一連の協業システムをつくりあげたのです。この組織は明治3年まで、約200年の間続けられ、当時果たした経済的な貢献度ははかりしれないものがありました。鯨漁のお礼と供養のために建てられた鯨塚や漁の時に歌われた鯨唄など、当時を偲ぶ有形、無形の文化財が今も鋸南町に残されています。


さくらちゃん TypeA

★鋸南町総合計画より★
鋸南町では総合計画重点プロジェクトである「エコガーデン(まちぐるみ公園化)構想」に基づき、平成13年度より10年間で2万本の桜(河津桜を主とする)の植栽を目標に事業を展開しているが、そのイメージアップキャラクターとして完全オリジナルで制作された。 歴史的な由縁はない。


さくらちゃん TypeB

★鋸南町総合計画より★
上に同じ。


デーデッポくん

★きょなんの昔ばなし『巨人デーデッポ』より★
浮島や鋸南町の江月区にあるデーデッポの足跡と言われる窪地などデーデッポの伝説は千葉県には数多く存在します。呼び名もライラッポ、ダイタロウ、データラボッチなどさまざまです。